神田橋ジャンクション
気圧の高低差のはげしい5月も、いくぶん収まってきたある夜、
ふと思い立ったので、兼ねてからじっくり眺めてみたかった神田橋JCTへ遊びにいってきました。
最寄駅は東京か神田です。距離的には神田の方が近いのですが、他にも用事があったので今回は東京駅からをチョイス。
例の天井で有名な出口から出て、左手にひたすら歩きます。
駅にちかい高架下は御多分に洩れず飲屋街です。比較的新しいお店も多いので、最近いろいろと手が入ったのかもしれません。それにしても、重量感のある橋脚。
中央線の高架は、場所によってかすかに湾曲している部分もあります。
そりゃそうだよな、人間だってまっすぐにいきたくても、
なかなか曲がらないでいくのは難しいもの。
飲食店もすくなくなって、大きなビルも人気がなく、がらんとしてきました。
グーグルマップさんによると、この橋の真ん中あたりから神田橋ジャンクションが見られるはず…!
続きを読む「わたしが一番きれいだったとき」
新しいアーティストというのは、聴いてみるまで、その良しあしがわからない。
そりゃ至極あたりまえのことだ。
では、私たちはどうやって新しいアーティストを知り、聴き、
気に入ったり気に入らなかったりするのだろう。
海外でとても売れっ子になって、今度日本でも演奏会をする、
というアーティストがいたとする。
でもまだCDは作ったことがない。
事務所はがんばって売り出そうとする。
売れない。売れない。困った。
当人も告知を頑張るが日本に知り合いが少ない。
まだ売れない。
広告費を増やす。
まだ足りない。
動員をかける。
当日になった。ぎりぎり7割客席が埋まった。
演奏は大成功だった。
帰りがけにお客様が口々にいう。
「こんなにいい演奏家だったのに、どうしてこんなに客席が空いていたのかしら。もっと売る方が頑張らないといけないわよねえ。」
こんな例はそれこそ売るほどある。売れないわけだけど。
また、ジャンルオーバーなアーティストほど、この時に苦労する。たとえばジャズとクラシックにまたがっている人物なら、当然2つの方面からアプローチするが、クラシック側からは「ジャズのひとでしょ」、ジャズ側からは「クラシックのひとなんでしょ」と言われてしまったりしようものなら立つ瀬がない。
* * *
一体お前はなにを言いたいのだ、
タイトルの茨木のり子の詩の題名には、いったい何のかかわりがあるのか
という声がそろそろ聞こえてきた。
小田朋美という作曲家/ヴォーカリストがいる。
音楽ナタリー等で「東京芸大作曲科卒の非クラシック系アーティスト」と呼ばれる人物。津軽三味線やアイリッシュ系など、幅広い共演者との作品がすでに世に出ている。本稿タイトルは最近リリースされた彼女の第2作CDの1曲目でありアルバム名である。
とある菊池成孔フリークから誘われて、小田朋美の彼が共同プロデュースした1stアルバム『シャーマン狩り-Go Gunning for Sharman-』を聴いたのをきっかけに、私は彼女のうたを知り、のめりこんだ。アルバム最後のキラーチューン「カム・ダウン・モーゼ」を筆頭に、どの曲も理知的なアプローチにもかかわらず、ものすごくエモい。元楽器吹きでクラシック(室内楽)、ジャズ好き、ポップスも、という自分はひとたまりもなかった。
彼女はよく、日本の著名な詩人の詩を取り上げる。でもそのやり方が、ゲンダイオンガク的難解さでもなく、ポップスよりのなるい仕立てでもなく、はたまた童謡ばりの可愛らしさでもない、エッジの聞いたしつらえなのだ。
小田朋美の扱うジャンルは非常に幅広い。伝統的なクラシックの技法もつかいこなし、ストリングのオーケストレーションも美麗。インプロもできる。ダンスとも共演する。タンゴもジャズもできる。幅広すぎる。そしてそれらを濃淡合わせ混ぜた、分類しようのないところにこそ小田朋美の魅力がある。
さて一通りはまり込み、
友人知人に「これいいよ~」といってすすめようとして、
ふと困った。
どのジャンルが好きなひとにすすめればいいんだろう。
クラシックを好んで聴くひとにはあまり歌モノをすすめない私。またジャズと一口にいっても、ヴォーカル無しのものを好むひと、ビッグバンド方面が好きな人ではかなりの差がある。だからといってアイドル好きの知人や、広汎な意味でのポップス(J-も、K-も、A-も含む)を好きなひとにすすめようにも人を選ぶだろう。最近タンゴもやっているが、日本ではニッチすぎる。
ここで冒頭の質問がリフレインするわけだ。
「私たちはどうやって新しいアーティストを知り、聴き、気に入ったり気に入らなかったりするのだろう。」
皆、何を媒介にして音楽の情報を仕入れているのだろうか。音楽雑誌がこれ以上ないほど疲弊しきったこの時代に。
SNS?アーティスト自身が発信するSNSだけでもあっぷあっぷしそうなくらいにあふれているし、ただの愛好家ならその量は推して知るべし。
TV?無料放送は雑誌と同様の斜陽ぶりだ。
ではラジオ?ラジオは意外とありかもしれない。・・・
自分は新しい音楽が好き、なんでも聴くよ〜と言っているひとに問いたい。
あなたはなぜ、その音楽をはじめて聴くに至ったのか。
一度「俺はこれが好き!」と決めた後、その情報を刷新する機会はどれだけあったか。
じぶんから進んで新しいものに出会おうとしているか。
* * *
彼女の音楽は、尖ろうとしているひと、尖っておらずにはいられないひとたちにとって、とても有意義なものになるだろうと確信している。新し物好きのひとびとにはおもしろがってもらえるだろうが、どこへフォーカスするべきなのか。
それで思い出したわけだ。なんかいろんな人が「俺のやってるこういうことはぜったい今一番いい感じの試みなはず!」と思っている場所へ、なにか書いてみよう、と。
しかし最終的に、それは却下された。あの雑誌様にはそれこそ「ジャンル違い」に見えたのが理由かもしれないし、PRぽく見えすぎたからかもしれないし、この文章が拙すぎたからかもしれない。
それはまあいい。
問題は小田さんの曲を私がいろいろな人にすすめたいと思っていること、そしてその勧める宛先をはかりかねて、こんな切っ先のの決まり切らない言葉を振り回した結果、こんなことになったという話だ。
小田朋美の新しいアルバムが出たので、最後にこれを紹介しておわることにしよう。
小田朋美『わたしが一番きれいだったとき:
『When I was young and so beautiful』
三枝伸太郎 小田朋美オフィシャルインタビュー『わたしが一番きれいだったとき:When I was young and so beautiful』
もう一度問うておこう。
あなたはなぜ、その音楽をはじめて聴くに至ったのか。
一度「俺はこれが好き!」と決めた後、その情報を刷新する機会はどれだけあったか。
じぶんから進んで新しいものに出会おうとしているか。
箱崎ジャンクション
わざわざ捕まりに行ったようなものだった。
こんなに好きになるとは、予想だにしていなかった。
音楽堂これくしょん(特別枠)普門館
壊されると知ると「あと一目」とつい思うのは人の性、でしょうか。
このような報道がされてから、一度この目で見ておこうと、何年かぶりに訪れてみました。
* * *
最寄駅は東京メトロ丸ノ内線の中でもレアな駅「方南町駅」です。JRから新宿で乗り換える場合はちょっとコツがいります。中央東口へたどり着くためには、どの路線をお使いの場合でも到着したホームから降りずに、まずホームに記載されている「中央東口」へ一番近い階段まで移動しましょう。ホームから降りてしまうと途端に難易度が上がる可能性大です。新しくできたサザンテラス口から降りてしまったりしようものなら、目も当てられません。
また東京メトロに乗ったあとも、中野坂上駅で乗り換えの生じる可能性が大きいので油断禁物。所謂盲腸線である方南町行きに乗り替えられたら、あとは終点までのんびりしてください。
方南町駅はあんまり大きい駅ではありません。改札は2つありますが、どちらを降りても環七通り(車線の多い、大きな道です)に出られればOK。
そこから道なりに5,6分歩くと、川を渡るはずですので、右折しましょう。もうその頃には、あたりは立正佼成会の関係の建物ばかりになっているはず。
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【速レポ】SIOフィルとは一体いかなるバンドなのか
昨日夜、池袋の東京芸術劇場にて行われた『東京芸術劇場コンサートホール SIOフィルハーモニックウインドオーケストラ ドリームコンサート2018』を聴いてきた。
個人的にはもう何度も聴いている演奏会シリーズだが、いまだご存知でない方のためにちょいと解説。
東京音楽大学ブラスの話をする時、汐澤安彦の存在を抜きにしては語ることあたわず、である。汐澤を慕って、その還暦や古希を祝う記念オーケストラが、主に東京音大卒業生有志によって催されてきた。また、2012年の第1回を皮切りに、吹奏楽編成においてもSIOフィルウィンドオーケストラという形で演奏会が開催され、今回はその第4回というわけだ。
毎回その「超大編成」には定評があるが、今回はバンダを含めると139人というから、もう笑うより他にない。またオーケストラなど、第一線で活躍中の奏者がずらずらと揃うメンバーリストも一見の価値あり。さながら、吹奏楽の「サイトウ・キネン」のような様相を呈している、と言ったら少々言い過ぎだろうか。
しかし、闇雲に大きいのがいいわけでもない。少子化に伴い世の吹奏楽編成は年々小さくなり、世の中には小編成用の作品もますます増えてきた。フレキシブルアンサンブル、というものがここまで吹奏楽業界に定着しようとは、コーディルの”民話”がはやっていた半世紀前など、誰も想像できなかったに違いない。
ではなぜSIOフィルは、ここまで皆の気持ちを駆り立てるのだろうか。
挙げられることとしてはまず、とてもじゃないけど100人を遥かに超える人数で吹いているとは思えないということ。人が増えれば増えるほど、全員の意識の統一は難しくなるのが自明であるが、あたまから尻尾まで汐澤先生を慕って集まった奏者で埋め尽くされたステージは、どれだけの弱音でも、また強烈すぎるフォルテシモでも、ゆがんだり狂ったりすることがない。恐ろしくなるほどだった。時々演奏中に、わけもなく笑いが止まらなかった。
強奏が爆音かつ美音なのは当然として、弱奏の繊細さ、そして音程がニュアンスまで整っていることは、人数を考えると驚嘆に値する。それでいて、各奏者が自発的によりよいサウンドを求めている様子も、手に取るように見える。
レパートリーの再発見ということも記しておくべきだろうと思う。前回だったか前々回だったか、オリバドーティの「バラの謝肉祭」がとてつもない演奏だったのを覚えている。今回はJ.A.コーディルの「バンドのための民話」がチョイスされていた。流行り廃りの激しい吹奏楽のレパートリーの中で、いつしか忘れられた名作をもういちど(しかも滅多に聞けないようなとびきりの演奏で)聴かせてもらえるのは至福の一言。
また、一流の奏者が集まるからこそ得られる極上のパレットが、汐澤先生の意欲をさらにかきたてているように見受けられた。何をやっても非の打ち所がないサウンドで応えられるのだから、普段はできないようなことだって、沢山やりたくなるだろう。
ソロの美しさは一つ一つ言い出したらきりがない。ひとつだけ(元クラ吹きとして)言わせて貰えば、プログラム上のラスト、レスピーギ『ローマの松』第3楽章「ジャニコロの松」でのクラリネットソロ(勝山大輔・コンサートマスター)は、完全に今まで聴いたどの演奏よりも素晴らしかった。
望むことのできる最上級の吹奏楽を昨晩は聴けたのだ、と思うと、思わずまた胸があつくなる。極上のパレットから生み出される至芸、同じ指揮者を慕うから、同じ釜の飯をくった仲だからこそできるアンサンブル。
そう、おそらくSIOフィルとは、皆の中にある「吹奏楽のイデア」が地上で見られる姿なのだろう。
まったく、どなたさまもお疲れ様でした。主催の某河野氏に来年の予定を尋ねずに帰ってきてしまったが、間を空けつつもここまでやってきてくれたのだから、きっと次回があると楽しみにしている。
相変わらず「第3部」的なアンコール。
(たまには別のも聴きたいなあと思ったのは、こっそり言っとこう)
今年は8曲でしたとさ。