くわだてありき(Bandsearchlightブログ)

吹奏楽(全国大会以外)とかコンサートホールとか高架下とかの話が主です。

The another side:Chicagoひとり旅レポ

MidwestClinic2017という教育音楽の巨大カンファレンスを目的にして
シカゴに4泊5日のひとり旅をしてきました。
吹奏楽以外の部分でも、何かと日本との違いを感じる機会が多かったので
感じたままを素直に書いておこうと思います。

 【ノーマライゼーション

 シカゴは鉄道の発達した街でした。8色の路線からなるシカゴL(高架&地下鉄)の規模は東京メトロと同じくらいあり、旅のあいだ、毎日使って移動していました。

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 各路線が円を形成している(ループ)部分は乗り換えができます。驚いたのは路線ごとにホームが無く、進行方向の異なる2線のみですべての列車をさばいていたこと。2分間隔で行き先の違う列車が入線するような感じです。列車の電光掲示板に色で路線の表示と行き先が出るので、迷うことはありませんでした。

 ニューヨーク同様24時間営業で、その為車内の治安は決して良くない、と聞かされていましたが、あまり遅い時間に利用しなかったのが功を奏したか、危ない目には全然合わずに済みました。それどころか、乗り方が分からなくて右往左往していたら道案内をしてもらい、大荷物をひきずってエレベータを探していれば声をかけてもらい、と、親切にしてもらった思い出がたくさんできました。

 駅の設備や路線は必ずしも最新ではなく、細い何十年前かの鉄骨で駅構造を支えているような状態も少なからずあり、日本の重厚な橋脚に慣れた身にはなかなかドキドキするビジュアルです。橋げたを下から見上げると隙間があったり、夜には線路から火花が散っていたり、ワイルドです。

 

 

 私がのったのはグリーン・ラインのみでしたが、駅の標識を見ると、ほとんどすべての駅で車いすの利用ができるようになっていました。(※他路線はこの限りではない)

 

 

 また、会場の最寄駅では駅の入り口を入ってすぐのあたりに車いす用のボタンが設置してあり、押すと係員が来る仕組み。電車に乗るにはSuicaのようなカードをタッチしてゲート(回転ドアや日本の改札風など、様々な形態)をくぐるのですが、車いすではこれ通ることができないので、横に普通の扉があり、車いすの人用のパネルにカードをタッチすると扉がひらくようになっていました(キャリーケースなどの大荷物を引いているお客さんも利用していました)

 

 街中には介添え無しで歩く車いすの人が沢山。その多さは日本の比ではありません。みんな一人で行きたい方向へ移動していました。一緒に歩いている人がいても、連れをアシストしてあげなくちゃ、という感じの人はあまりいません。ダウンタウン(直訳の意味はなく、いわゆる都心部のことを指します)は道幅が非常にひろく、車いすに乗るのに不自由はなさそうです。
 最終日にはシカゴ美術館にも立ち寄りましたが、車いすはもちろんのこと、盲導犬を連れた方、白状の方、ごく普通にお見かけしました。美術館自体は古い建物ですが、あちこちにエレベータが後付けされていました。印象論ですがどの方も顔を上げて、健常者同様ニコニコしていたように思えました。

 

【古くて新しい街】

 街並みにはずっと心を惹かれっぱなしでした。広い舗道、夜になればそこかしこのバーに灯りがともります。古い石造りのビルと、素晴らしく新しい高層ビルが隣り合わせに立ち並んでいる様子は不思議な光景でした。

 面白いなと思ったのは、回転式ドアの多さ。私がとまったホテルの入り口も、地下鉄の出口も、マコーミック・プレイスでも、たくさん回転式ドアを見かけました。なぜかゴミ箱も非常に多いと思いました。道には1ブロックごとに2つか3つくらい、施設の中にはいたるところに置いてあり、なおかつ定期的に掃除屋さんがゴミを回収していきます。テロ対策だといってゴミ箱を無くそうをしている日本と、つい比べてしまいます。

 

 

 

 

【シカゴ響のおもてなし】

 せっかくの機会なので、シカゴ交響楽団を本拠地のシンフォニー・センターで聴いてきました。ちょうど最終日の夜20時からの公演があったのです。予約は事前にWEBから行い、席も選んでクレジットカードで決済済み、あとはBox Office(ホールのチケットカウンター)で引換えをするだけ、としておきました。日本にいる間はこれが最善の策だと思って疑いませんでしたが、いざ現地に行ってみるとだいぶ考えが変わりました。

 

 CSOの本拠地は地下鉄の駅の目の前、反対側には広大な敷地のParkや美術館のある目抜き通りに位置しています。Box Officeへおもむき、予約証を見せますと、カウンターのお姉さんは何度も矯めつ眇めつ検分し、キーボードをたたいて確認、同僚にも何やら確認してやっと席をたちます。デスクの後ろにはずらっと細かく仕切られたチケット保管棚があり、そこから私の予約したチケットがでてきました。

 

 だいぶ時間がかかったな、英語の説明がまずかったのかなと思っていたのですが、入場する時になって気づきました。ほとんどのお客さんが手にしているのは硬券ではなく、A4のプリント用紙かスマホの画面なのです。あまりの光景に思わず入場する足をストップしてその様子を凝視してしまいます。

 

 ホールのレセプショニストは入場時にスマホで、プリントアウトやスマホに記載されたバーコードを読み取ります。ほとんどがこの電子チケットで入場していました。私の硬券も、結局バーコードを読むだけで、半券はもぎらずじまい(余談ですが、赤い制服のレセプショニストは平均年齢70歳くらいの方々でしたが、スマホを操ってバーコードの読み取りをこなしておいででした)。
 現地に慣れた先生から後で聞いた話ですが、WEBでの予約が大半な上、電子チケットを印刷するなりスマホ上に保存するなりしてチケットレスにするのが当たり前になっているとのこと。実券で予約した、しかも海外の旅行客のチケットの引換えに時間がかかったのは、ある意味当然だったのがこれでわかりました。それにしても、日本とはえらい違いです。逆に考えると、この電子チケットに慣れているアメリカのひとたちにとって、日本でコンサートに行こうと思っても、チケットを購入するのはかなり至難の業なのかもしれません。

 

 ホールに入る前から大きなカルチャーショックを受けていますが、ロビーに入っても驚くことが続きます。

 ジュークボックスくらいの大きさの箱に、ご自由にどうぞとキャンディが置かれているのです。前日買い物したWalGreenのロゴが金文字で光っています。包み紙にはcough drop(のど飴)の文字。飴のパッケージは、ひとつひねって開けてみるとあまり音の立たない紙でできており、日本でカサカサ云うと不興を買っているものとは少々様子が違いますが、そうだとしても、アメがホールから配布されているとは。
 公演中、実際にこの飴が開けられている音がしていましたが、誰も気にする様子はなく、またその音もそこまで気に病むほどではありませんでした。地味に大きな衝撃です。付け加えておくと、まだ雪の降らないシカゴはものすごく乾燥しており、楽章間の咳込みはかなり盛大なものでした。風邪をひいているであろうと思われる人も、少なからず見受けられました。(日本のようなマスクをしているひとはいません)

 ちなみにプログラムの冊子は手渡しされておらず、ホールに入るドア(2重ではない)の横に、このような入れ物に入って積まれていました。

 こちらも各自ご自由に、 とのことなのでしょう。

 

 ホール自体はとても古い建物で、4階席までということになっていましたが、2階に席をとった私も、思った以上にたくさんの階段をのぼりおりする必要がありました。ドアごとにやはり年配のレセプショニストが(歴戦の勇士、といった趣で)立っています。

 古めかしいイスは、案外固くて、クッションが欲しいと思う方もいるかもしれません。席の幅も、ピッチも、かなり狭めでした。

 

 ちなみに2階のロビーに面して、大きな談話室があり、音楽学者による聴き方講座のようなものが入場時間中に開催されていました。

 

 

 ホールはオペラハウスなのにステージ奥の席がある面白い構造です。天井がラウンドで、なるほどこれは鳴らすのが難しいかもしれない、と感じます。ステージの真上には反響版が作り足されています。演奏はいわずもがな素晴らしいものでした。特にこのホール構造にも関わらず、金管の存在感はまさにこのオーケストラならではと言えるでしょう。アンコールは無しで、ひとしきり拍手をし終わると、時間も遅いので皆そそくさと退出します。ロビーは狭く混み合っており、クロークは長蛇の列になっていました。

 

 椅子が固いせいか、休憩の間はその場に立ち上がって待っている人を多くみかけました。携帯は公演中常に使える状態でしたが、幸いなことにコンサートの間に着信音が鳴ることはありませんでした。客層は、市街を歩いているときと比べ白人の人がやはり多く、ただし若い人も一定数交じっていました。基本的に老人ばかりの日本のコンサートホールとは、だいぶ様子が違っていました。

 

 日本と比較すればアメリカは、コンサート文化の面で遙かに大きなアドバンテージをもっています。しかし、それ以上に感じたのは、言い表しようのない「余裕」のようなものでした。
 シカゴでは音楽は「学ばなければいけないもの」ではなく「ひとつの楽しみ」であり、サービスは「与えられるべきもの」ではなく「求めるもの」でした。言われる前に察して動く日本のサービス業に慣れ親しんだ身から、その常識が見るまに剥がされていくようでしたが、いざ取り去ってみると、ふしぎなことに清々しい気分になりました。

 国民性の違い、風土の違いなのは承知の上です。日本で求められるサービスそれ自体が悪いとは決して申しません。しかし、あまりにも色々な方向からの色々な意見に対して配慮を求められ過ぎた結果、本当に必要なものが何なのか、よくわからなくなっていたのかもしれません。短い旅ではありましたが、コンサートについてシンプルに考えられるいい機会を得られたように思いました。