くわだてありき

田橋るう(たばし るう)です。吹奏楽とかアトマネとか高架下とかのはなしをしてます。

どうしてJ-フュージョンは吹奏楽の中で生き残り続けるのか

先月、荻窪のベルベットサンにておこなわれた、こちらの対談。

www.velvetsun.jp

 

挾間美帆&シエナ・ウインド・オーケストラの新たな試みを軸に、ジャズと吹奏楽の関係について語るイベントでありました。残念ながらわたし自身が同時刻に別の場所で喋る機会をいただいていたので伺えなかったのですが、、、(かなり悔しい)

そして、終了後のTwitterを拝見していて、私が個人的にいちばん大きな衝撃だったのが、『ワニ三匹』のおひとり、村井康司さんのこちらのひとことでした。

 

なぜなら、私自身のフュージョンとの出会い、ひいてはジャズの裾のはじっこにさわることのできた初体験が、吹奏楽部でのJ-フュージョンに他ならないからです。

 

ジャズの業界では今でも(笑)付きで述べられてしまいがちなJ-フュージョン。しかし、その末裔がジャズ業界の与り知らないところでこうして生き残っていたことに、専門家のみなさまが少なからず驚いている、そのことにまた私(のような吹奏楽業界の人間)は、ひっくり返ってしまったわけです。

 

 

というわけで、スピンオフ企画といってはおこがましいのですが、J-フュージョンがいかに吹奏楽で愛好され、いまこの2018年にも生き残って演奏され続けているか、という話をまとめてみようと思います。

 

 ちなみに、この記事で紹介する曲まとめたSpotifyのプレイリストつくってみました。だいたい入ってます。 よろしければ同時並行でどうぞ。

open.spotify.com

 

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 「吹奏楽」はジャンルのひとつとしても機能する語でありながら、ありとあらゆるジャンルの音楽を演奏可能な「編成形態」としてあちこちで重宝されています。最初から吹奏楽編成のために書かれた作品は、吹奏楽関係者から「オリジナル作品」と呼ばれ、それ以外のものと区別されています。「オリジナル」ではないものには、オーケストラや室内楽などのクラシックをはじめ、映画音楽、歌謡曲、演歌、アニソン、ロック、そして今回のネタであるジャズなど。節操はありません。そこに「吹きたい」と思う演奏者がいて「編曲するよ」というアレンジャーが居れば、それで成立するわけです。

 

 日本の吹奏楽とジャズの関係を考えるとき、突端になるのは岩井直溥*1とNew Sounds in Brassのことです。まずはここから話をはじめましょう。

 アイテムリスト>ニュー・サウンズ・イン・ブラス

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 全日本吹奏楽コンクールの課題曲に、非クラシック的作品をはじめて持ち込んだ人物。(吹奏楽ではこうした、クラシカルでない曲のことを、総じて「ポップス」と呼んだりします)彼が興した楽譜および録音のシリーズが「New Sounds in Brass(以下NSB)」でした。このシリーズで岩井氏は、日本中の吹奏楽部にポップスの風を吹かせたのです。

 

 後年のインタビューで、岩井氏自身がNSBのできた背景について語っていますので、ちょっと引用します。

1970年代初頭の吹奏楽界がどうだったかというと、コンクール課題曲を見ると、雰囲気がわかるでしょう。

1969年 中学の部 ≪ふるさとの情景≫(川崎優)
      他部門 ≪南極点への序曲≫(岩河三郎)
1970年 中学の部 ≪サムソン≫序曲(ヘンデル
      他部門 ≪音楽祭のプレリュード≫(リード)
1971年 中学の部 行進曲≪輝く銀嶺≫(齋藤高順)
      他部門 行進曲≪太陽の下に≫(奥村一)

 このように、課題曲は、中学生向きとそれ以外の2曲のみ。内容も、いわゆるシンフォニック系かマーチでした。いかにも「吹奏楽は、まじめな曲を演奏しろ」「特に中学生はあまり派手な曲はやるな」といったムードが漂っているでしょう。

  この翌年1972年に、僕が、中学生向きの課題曲、シンコペーテッド・マーチ≪明日に向かって≫を書いて、これが、少しポップスの香りがする曲だった。課題曲にポップス・テイストが加わるのは、これ以降の話です。

  つまり、1970年代初頭は、まだまだ、吹奏楽でポップスを演奏するなんてことは、ほとんど行われていなかったんです。よく聞くでしょう、当時、音楽室でビートルズなどのポップスを演奏すると、先生に怒られた、なんて話を。

 

 http://www.bandpower.net/soundpark/02_iwai_story/18.htm)より引用

 

 最初にレコーディングしたのは航空自衛隊音楽隊とゲストのミュージシャンたち。音楽隊の皆がノリノリで演奏しているところを見て「これはうまくいく」と確信したという岩井氏ですが、それまでなかったものだけに販売当初は苦労も多かったようです。ポップスをいかにして吹奏楽で吹きこなすか、岩井氏は全国各地をクリニック行脚して普及につとめました。こうして次第に、日本の吹奏楽にポップスを演奏する下地が整っていったわけです。

 それまでクラシック的なもの、もしくはマーチしか演奏してこなかった中高生に、「ゴッドファーザー 愛のテーマ」なんかを与えたんですから、最初は父兄たちから「いかがなものか」とも言われたようですが、次第に吹奏楽でポップスをやるのは当たり前のことになっていきます。

 

 NSBで吹奏楽のために仕立てられた曲目を眺めると、基本路線として「その当時流行った、カッコいい洋楽」がチョイスされているとわかります。吹奏楽ポップスを語る際に避けては通れないミュージックエイト(新譜をリリースから1ヶ月程度で吹奏楽編曲して販売する老舗の楽譜屋さん。略してM8などとも呼ばれる。1965年創業)は、どちらかというと国内のヒット曲を中心に編曲していたので、NSBのこの方針はM8との差別化を図ったものとも見ることができるでしょう。ビートルズカーペンターズ、シナトラにABBA。邦楽の比重は少なめ。カッコ良くて、人気のある曲が目白押しです。

 吹奏楽編成との親和性の高さから、ビッグバンドの名曲も多く取り上げられました。最も早くNSBに登場したジャズが、こちら。

Duke Ellinton & Juan Tizol / Caraban

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編曲:岩井直溥(1978)

この回のゲスト奏者:猪俣猛(dr)/荒川康男(b)/中牟礼貞則(eg)/鈴木重男(sa&a)/宮沢昭(ta)/羽鳥幸次、数原晋(tp)/白須正義(tb)/山口弘治、下舘広起(hr)/江草啓介(p)ほか

 

* * *

 

1980年になるとChuck Mangioneの「Feel So Good」が取り上げられます。アレンジャーは若かりし頃の久石譲。次第にビッグバンドサウンドにかわって、NSB にもいよいよ新興勢力が登場しはじめます。

Chuck Mangione /Feel So Good

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編曲:久石譲1980

この回のゲスト奏者:猪俣猛(dr)/ 荒川康男(b)/ 中牟礼貞則(eg)/ 羽鳥幸次(tp)/ 白須正義(tb)/ 山口弘治(hr)/ 宮沢昭(s)

 この曲のようにもともとがフリューゲルソロありきだと、吹奏楽アレンジもハマります。

 

Josef Zawinul/ Birdland

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編曲:岩井直溥1981

初回録音のゲスト奏者:猪俣猛(dr/荒川康男(b/中牟礼貞則(eg/羽鳥幸次(tp/鍵和田道男(tb/山口弘治(hr/谷口和典(ts/清水万紀夫(cl

 ウェザー・リポートの言わずと知れた名曲。現在でもよく演奏されているようです。 

 

日本で名前が知られているところだと、あとは・・・

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シャカタク(Shakatak)/ Night Birds

編曲:中川賢二(1984

初回録音時のゲスト奏者:猪俣猛(dr) / 江藤勲・荒川康男(eb) / 杉本喜代志(eg) / 宮沢昭(s) / 数原晋(tp) / 鍵和田通男(tb) / 山口弘治(hr) / 市川秀男(pf)

 ただしこのあたりのフュージョンは、普通には演奏されたものの、後述する「宝島」のような盛り上がりになったわけではありませんでした。

 一因として、前述のBirdlandならベースやギターに、シャカタクならピアノなどにサウンドの比重がかかっていることが挙げられるでしょう。吹奏楽で演奏する場合でも、腕のいいギタリスト*2やピアニストが確保できなければ、演奏のクオリティに関わるのです(そしてそういう人材はたいていの場合、部員以外を呼んでこなければならない訳です)。ホーンセクションの見せ場が多かったり、もともとのバンドに管楽器が多く含まれている曲ならいざ知らず、これらの曲は吹奏楽で普及するには、少々部が悪かったと言えます。

 

 80年代半ばになって、いよいよザ・スクェアの登場です。1982年にNSBでアレンジャーデビューした真島俊夫氏の、ご本人の言葉を借りれば「名刺がわり」になったのが、この2曲のアレンジでした。

ザ・スクェア(現・T-SQUARE

Omens of Love (1986・真島俊夫 伊東たけし降臨バージョン)

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初回録音時のゲスト奏者:猪俣猛(dr) / 荒川康男(eb) / 中牟礼貞則(eg) / 数原晋(tp) / 西山健治(tb) / 宮沢昭(as)

 

宝島 (1987・真島俊夫 )

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初回録音時のゲスト奏者:猪俣猛(dr) / 荒川康男(cb&eb) / 中牟礼貞則(g) / 数原晋・白磯哮(tp) / 鍵和田道男(tb) / 須川展也(as) / 市原宏祐(ss&ts) / 美野春樹(p) / 塚山エリコ(syn)

 もともとカウント・ベイシーが好きで(後年にアレンジされたメドレー超よいです)神奈川大学吹奏楽部でトロンボーンを吹いていた真島氏は、岩井直溥のアシスタントになって、アレンジを手がけるようになっていきます。1985年に全日本吹奏楽コンクールの課題曲で自作曲もデビューし、その後は吹奏楽の作編曲家として数多くの名作を送り出していますが、Omens of Loveや宝島はそれよりも前、キャリアのかなり最初のころの作品でした。
 その作風は一言で言うなら「豪華絢爛」。複雑に重ねられた、およそ当時の吹奏楽ではあまりお目にかかれない分厚くおしゃれな和声。それでいて鳴りは抜群。本来は軽めのタッチだったT-SQUAREの曲が、真島氏の手によって壮大なスケール感をもった、大編成吹奏楽向けの編曲作品に生まれ変わったのです。

 「宝島」のスコアは発売からわずか1ヶ月で完売*3するなど、爆発的な盛り上がりを見せます。その後も、例の「響け!ユーフォニアム」での取り上げ方に現れているとおり、日本中の吹奏楽部で先輩から後輩へと譜面が継承され、演奏され続けているのです。

 もちろんこの間にも、フュージョン以外のジャズだって青少年にたくさん取り上げられていました。吹奏楽のコンクール同様に、ビッグバンドのコンテストも行われ、中高生たちが競っていたのはビッグバンドの名曲が中心でした。当時(も今も)吹奏楽っ子たち必携の雑誌「バンドジャーナル」を見ると、おなじ楽器を使ってるんだし、シンフォニックバンドとビッグバンドの両立で、もっとすごい活動ができるんじゃないの?!と盛り上がっていたようですが、残念ながらメインストリームになることはありませんでした。

 

 ちなみに80年代のバンドジャーナルにはジャズのリサイタル評、本多俊之のアドリブ指南の連載なんかもあり、学生向けのジャズのコンテストがたくさん見られます。80年代後半になるとMALTAの出現率が上がってきて。インタビューにMALTAの教えるサウンドクリニックの広告があったり。

 

MALTA/ HIGH PRESSURE

編曲:森田一浩(1988

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 キャビンのCMで人気を博したMALTAの代表曲。という知識は、後付けです。個人的にはHIGH PRESSUREは、県下随一の強豪高が演奏する憧れのポップスであり、入学してからはいちばん上手いサックスの先輩の、お楽しみステージにおける最大の見せ場でありました。

 1991年からはじまった全日本高等学校吹奏楽大会*4は、クラシック系の「全日本吹奏楽コンクール」とは異なり、ジャズからポップスから、演出ありで楽しいステージを競う大会です。これに特別賞的な位置付けとして「MALTA賞」があり、定期演奏会等の演奏会でMALTAが共演してくれるという副賞がついてくるのでした。当然、日本全国の高校でMALTAのサックスが鳴り響き、同時に彼の曲もどんどん広まっていったというわけです。いまや上野の東京藝術大学客員教授も務めるMALTAは、吹奏楽によって知名度を高めたサックス系奏者の、最も顕著な例といえるでしょう。

 

 その後吹奏楽界から徐々にジャズブームは過ぎ去っていき、バンドジャーナルでもジャズについての記事はコラムが1つ2つある程度に低迷していきます。フュージョンについては、それ以前から(特に奏者サイドから)否定的に扱われることも多かったためか、ほとんど単語すらでてきません。しかし前述のT-SQUAREMALTAの曲は、吹奏楽を通して演奏され続けたわけです。

 

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 1990年代後半から現在にかけて、ジャズではない方面からのアプローチとして、興味深い例をひとつ、ご紹介しておきます。

スペクトラム/ TOMATO IPPATSU

編曲:植田薫(1995) 

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 この動画で演奏しているのは、”日本一ファンキーな吹奏楽部”として名高い武生商業高校吹奏楽部。彼らも全日本のコンクールではおカタい作品を一所懸命演奏していますが、コンサートでのレパートリーは他にプリンスにJB、EW&Fといった具合。これで実力も折り紙つき(ほぼ毎年全国大会出場)だからたまりません。指導の植田薫氏は他の吹奏楽部にはないブラス・ロックやファンク、そしてもちろんフュージョンの名曲を自ら編曲して演奏し、他のバンドには真似のできない活動を続けています。

 

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 2000年代に入ると、また異なる出現の仕方が見えてきます。まずはこちらをどうぞ。

スペクトラム/ サンライズ

編曲:金山徹(2007) 

brass.winds-score.com

 吹奏楽部員から火がつき、若者に大受けだった(解散ライブは武道館!)当時はいざ知らず、いまではこのバンドのことを知る現役吹奏楽部員はどのくらいいるのでしょう。

 

カシオペアASAYAKE

編曲:下田和輝(2015)

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 (残念ながら打ち込み音源のようです) カシオペアを代表する曲ですが、だいぶ最近になってからの編曲です。

 

 フュージョンじゃないですが、こんなものも。ブラスロックの名曲!

チェイス/ 黒い炎

編曲:郷間幹男(2010)  

www.youtube.com

  

  「なぜ今さら?」感が強いかもしれませんが、吹奏楽がどこでどんな風に演奏されているかを考えると、この謎は解けます。

  ある時は地元の夏祭りの賑やかしに。ある時は老人ホームの慰問に。街のイベントに、パレードに。もちろん学内の文化祭などでも。バンドによって差はあれど、これらいろいろのシチュエーションで、その場のTPOにあわせたレパートリーが演奏されます。街中のイベントで足を止めてもらいたいのに、どクラシックばかりを演奏したところで、効果はあがらないからです。

 そして当然、1年に1度は「定期演奏会」と呼ばれる、集大成のコンサートを催したりもします。なるべく派手に盛り上がりたい。いろんなジャンルを演奏したい。そうなった時、クラシック系の作品を演奏するステージとは別に「第2部」「お楽しみステージ」などと称して、わかりやすく楽しい曲を演奏するステージが設けられることが多いのです。

 ジャズの次にディズニーメドレー、そのあとはAKB系と、いわゆる「第2部」にはありとあらゆるジャンルがごたまぜになります。*5

 

セットリストを組む時、いくら部員たちが好きだからといってバラードばかり続けるわけにはいきません。そう言う時に「宝島」なんかが絶妙な効果を発揮するのです。だから、ジャンルそのものは低迷したとしても、「名曲」「人気のあった曲」だけで生き残ることができたのです。それは別にフュージョンのみに限った話ではなく、吹奏楽でアレンジされた曲が人気になって、演奏され続けているという例は他にもたくさん挙げることができます。

 

 ジャズに限らず、雑多なジャンルを飲み込んで成立しているのが、吹奏楽という編成形態。いちど編曲という過程を経ることもあり、その曲の本来持つコンテクストは一旦切り離され「吹奏楽」という枠組みの元に再生産されます。文脈を切り離して文化祭や定期演奏会の「お楽しみステージ」で演奏されることで、フュージョンは生き残ったのです。

 

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参考文献的URL

◆ ニュー・サウンズ・イン・ブラスCDインデックス

◆ 吹奏楽マガジン BandPower - エッセイ 吹奏楽ポップスの父、昭和大爆走!岩井直溥自伝

 

 

*1:岩井直溥の「溥」は、博ではなく、さんずい

*2:ベーシストについてはちょっと勝手が違い、コントラバスパートの誰かひとりが(機材を持っているやつが優先的に)持ち替えてエレキベースを担うパターンが多かったりします。

*3:http://www.bandpower.net/soundpark/02_iwai_story/20.htm

*4:http://www.nipponkousuiren.com/jigyoujisseki.html 1991年から静岡県浜松(アクトシティ大ホール)で、のちに横浜(みなとみらいホール)に場所を変え、現在も開催されている。MALTA賞はH28年まで。

*5:テーマを設けて「ごった煮」ではないステージを企画する団体ももちろんたくさんあることを、彼らのために申し添えておきます。