楽屋のまもり 〜演奏者への面会にまつわる攻防、あれこれ〜
まごうことなく、楽屋というのは演奏家にとっての聖域である。本番前には楽屋でこれから立つステージを思って震え、本番後には自分の犯したミスを思って泣くのだ。それらすべてはステージや客席と隔てられた楽屋の中で行われ、衆目の目から守られる。
ただ、例外的にこの聖域に足を踏み入れることが許される場合がある。それが「面会」だ。
・・・なんて書き出すと、すごいものものしいけれど。
クラシックの演奏会の場合、この面会が一定の確率で発生する。客席が出演者の知り合いで固められているような演奏会のほうが、より確率が上がると言えよう。表方(※ステージ上の裏方ではなく、お客様に接するスタッフのことをこう呼んだりする)は、殊更面会にはかなり神経をとがらせている。何故か。
まず、面会謝絶状態の場合がある。文字通り、この状態では誰も演奏者に会わせてはならない。いくら周囲の人間が素晴らしい演奏だと思っていても、本人にとって不出来ならば、彼らは荒れ、涙し、付き添いの人間にあたりちらして愚痴を言う(そして撤収時間が迫っていてもぐずぐずとドレスを脱がない!)
こんな状態では、たとえいかなる賞賛のことばも、悶絶するほど美味な差し入れも彼らには響かないのだ、決して楽屋に通すことはできない。
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演奏者本人には一応聞いてみるのである。
「あの、○○さんという方が、面会に来ておいでなのですが・・・」
個人的な知り合いの場合、面会謝絶状態でも、多少時間のクッションをおいて息を整え、面会に応じる可能性はある。若手の奏者ほど、次のお仕事の関係やお友達付き合いもあるので、断らない場合が多い。
直接の知り合いでない場合は、難しいかもしれない。ダメそうな場合は贈り物はそのスタッフにそおっと渡して、おことづけのひとつも頼んで、さっぱり帰ってしまうのがスマートだ。プレゼントの中にカードやメッセージなど仕込んであれば、後で本人からお礼のひとつもあるだろう。
面会者から演奏家をまもらなければならない事態も、当然起こりうる。美人な演奏家の場合、熱烈なファンのおじさんがプレゼントを持ったり花束を下げたりして楽屋の近くをうろうろしていることがあるのだ。この場合も、我々は必要に応じて演奏者にお伺いをたてにいく。ファンとの交流(あしらい)に慣れている演奏家だったり、面会者がそれほど害のない人たちの場合は、ドレスを着たまま楽屋をでて、歓談に応じるだろう。あんまりしつこいファンがその中に含まれているなどの場合は、出てこないという選択肢も十分にありうる。
知り合いの場合は楽屋に呼んで、演奏の感想などをお話ししたり、時間に余裕があればお茶がはじまることだってある。ただしやはり直接の知り合いや関係者に限られるだろう。以前、それほど関係の深くない人がずかずかと楽屋にあがりこんで辟易したことがある。面会者は面識があると言っていたが、実は1ぺん名刺をやりとりしただけだったりした。危ないことをする人物ではなかったのだが、時間はくった。度を過ぎたオタクには、こうした厄介な人がたまにいるので気が抜けない。
スタッフ側の人間としては、やはり演奏家をまもらねばという気持ちと、せっかく贈り物などを持って待ってくれているファンに申し訳ないという気持ちがないまぜになる。演奏者への確認で時間がとられてしまうと、余計に気が急いたりするものだ。ただ、基本的には関係者以外立ち入り禁止の区画に部外者を入れるのであるから、どうしても慎重にならざるを得ない。
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昨年だったか一昨年だったか、ファンに刺されて重傷を負ったアイドルの方などもいたが、そうした事件が起こると胃の腑が焼けるような気持ちになる。もう決して起こしてはならない。演奏家も人気商売だからつらいところだ。だから、お伺いに多少時間がかかっても、おおらかな気持ちで待っていただけると幸いなのである。基本的に、演奏後の出演者は解放されているようで、かなりナイーブな状態なのだ。そこんところをご理解いただけると、とってもありがたい。
(タイトルが、あのマーチ『ナイルの守り』にかけてあることは、どんくらいの方に気付いてもらえるのだろうか・・・)
2016/06/20のNoteより転載
https://note.mu/urunatsuki/n/na3aab48dc54e?magazine_key=m726a9e6336e1