くわだてありき

吹奏楽(全国大会以外)とかコンサートホールとか高架下とかの話が主です。

思い出補正をぶっ壊されたライブと、顧客満足についての話

 10年くらい前に非常にハマっていた、あるユニットのライブに行ってきた。当時はまだ東京まで数時間の地方民、当然CDでしか聴いたことはなかったが、そのサウンドを聴くに、おそらくこれは絶対ライブが楽しいパターンだろ! と思っていたので、念願がかなった時はほくほくだった。

* * *

 アンコールが終わって、わたしはそそくさと席を立った。なるべくはやくこの場からいなくなって、この渦巻く頭の中のもやもやを整理したかった。

 ぜんぜん、ついていけなかったのだ。

 

 1曲目の終わるころにはもう強烈な違和感を感じ、その事実にまず動揺し、でも場の雰囲気は壊したくなくて、なぜかフルサイズのフィッシュ&チップスを頼み、食べすぎ、しかしまぁこれも勉強かと自分を奮い立たせて一生懸命聴き、アンコールさえなくてもいい、否できれば無いほうがありがたいと思いながら手をたたいていた。そんな経験は、普段行き慣れているクラシックの演奏会ですらなかなか無いことだった。

 曲はほとんど全部知ってるくらいだった。コール&レスポンスだって全部完璧に歌えた。なのに…。わたしが彼らの音楽を好きだったのは、いったいなぜだったんだろう。若いころは食べられた油こい食事がだんだん受け付けなくなるような、そんなこと?
ほとんど途方に暮れながら会場を出、駅までの道すがらSpotifyを開いて、自分が”いま”好きなアーティストをかたっぱしから聴きながら歩いた。

 

 

 わたしがライブに求めていたものは、何だったのだろう。
 既存の自作をそのままなぞるのではなく、その場でアレンジして料理してくれたりする、そのわざを楽しみにしていたのかもしれない。この日のライブには、それは残念ながら無かった。コード進行も、スキャットの入れ方も、あまりにもCDどおりすぎた。曲間のアドリブも、ことごとく「おっ」と思える瞬間のないまま通り過ぎていった。
 或いはCDの限られた音響ではわからない、迫力とか息遣いを感じたいのかもしれない。これについては席の位置が悪かったかもしれない。正面からだったら、増幅されたものでない声のトーンまで聴きとれたのかもしれないが、仕事を終えて駆けつけたら、もう壁際しか残っていなかったのだ。1曲目の出だしで多いに気をそがれたのだが、後半になると集中力がアップしたような気配も感じた。
 熱心な古参ファンがフロントを埋めていて、基本的にそういうファン向けのトークだったのも一因だろう。「一見おことわり」とは言わないものの、知識のあるファンであることが前提の、深夜ラジオのようなしゃべりは、正直飽きをとおりこして苦痛だった。
 リズムの際立ったものに惹かれる(だから最近は変拍子がとにかく好き)性質なので、グルーヴ感の強い曲が来れば……と思ったものの、残念ながらヴォーカルとギターだけのミニマムかつアコースティックな編成では、それを望むのもお門違いというものだったろう。
 何よりつらかったのは、ここのところジャズとか20世紀以降のクラシックばかり好んで聴いていたせいなのか、使われるコードの色彩がどうしてものっぺり、単純なものにきこえてしまったことだった。昔聴いたのはこんなサウンドだっただろうか、と、自分の記憶すら疑いながらのライブ体験は、いわば「思い出補正」の逆をいく現象だった。実は当時実父と一緒にハマっていたのだが、いまは離れて暮らす父に「〇〇のライブ聴いたぜ~いいだろ~」と書きかけたLineを、送信せずに消すというつらい一コマもあった。

 

 ここまで書いて、ふと最近受けたマーケティングの手ほどき講座でみせてもらった「顧客満足のピラミッド」の図があたまに浮かんできた。

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2種類のうち、表層サービスのほうは1つが欠けても全体の満足度には影響しない。逆に本質的サービスのほうは、1つでもミスがあると、その他の部分が良くても致命的なクレームにつながったりする、というものだった。

 先ほどわたしがつらつらと書いた事項のうち、たとえば「コアファン前提のトーク」は表層サービスの【雰囲気】の部分に該当しそうだ。あと、この会場はいつ行っても満足できるおもてなしをされたためしがない(案内が遅い&不親切、食事のオーダーが通りづらい等々)ので、【親切】という部分も当てはまりそうだ。(ごはんはおいしいんだけどなあ。)

  さて、ライブ=音楽パフォーマンスの本質的サービスとはいったい何だろう。
チケットが予約できていると思ったのにWブッキングされてたとかそういう致命的なことは当然なかった。上から照明が落ちてくることもなかったし、モッシュなどが起こって命の危険を感じるようなことも起こらなかった。でも、生演奏の醍醐味が感じられないとか、インプロのかけらもないCDどおりの歌唱とか、およそわたしがライブに求めていた一番大事なところが、ものの見事に無かったのではないか、という仮説に至った。

 

* * *

 講義ではもひとつ、こんなグラフも紹介された。

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 これは顧客満足度がいかにして決まるかのメカニズムを表している。値は購買前(体験前)の事前期待の大きさと、購買後(体験後)の評価との相対によって決まる。
購買後の客観的評価a(この場合はパフォーマンス、おもてなし、雰囲気など全部込みの「演奏のよしあし」)があったとして、購入者(ライブに来た人たち)の主観的評価をbとするとき、
  ①:aよりbがめっちゃ低かった場合=
    対比効果として、満足度は非常に高くなる
  ②:aとbがだいたい同じくらい=
    演奏のよしあしに見合った満足度になる
  ③:aがbをある程度上回った場合=
    対比効果として、自分の事前期待を正当化するために満足度は高くなる
  ④:aがbをいちじるしく上回った場合=
    一定の演奏水準を満たしていても、不満足になる

 

 ……わたしの経験したのは確実に④なのだろう。彼らのライブに対する期待は、わたしの自覚以上に高く積みあがっていたのだ。あらゆる場所で、あらゆるシチュエーションで彼らの楽曲を聴いた思い出がぽろぽろとよみがえる。確実に人生の一部分を占めていたはずなのに、もうしばらく聴きたくないと思っているのが辛い。ライブの後(いつもどおりに)ふとした瞬間に曲の一節を口ずさみそうになって、慌てて打ち消すようなことすらあった。
 大きすぎる思い出は、ときに現実を押しつぶしてしまうこともあるのだと、この身をもって体験したのだった。

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 仕事のためにマーケティングを学びにいったはずだったのに、思いがけないところで役に立ってしまった。でも、必ずしも100%彼らの所為ではなかったのだ、という結論が出て、ちょっと救われたような気持ちになれた。
 しばらくは聴かないほうがお互いのためだろう、と、iTuneからアーティストごとそっくりデータを消した。願わくば、いつの日かこれも「いい思い出」に昇華して、また彼らのうたを心から楽しめる日が来ますように。